「ひぃくんは、どうするの?」
「……バスケ、かな。いや、まだ決めたわけじゃないけど」
翼は一瞬だけ目を丸くしたあと、どこか“納得した”ように小さく息をついた。
「やっぱり……そうなんだね」
「え?」
「中学のとき、ひぃくんが体育館で練習してるの……何回か見たことあるから」
その言葉に、胸の奥がふっと揺れた。
「見てたの?」
「うん。たまたま通りかかっただけだけど……ひぃくん、すごく真剣だったから」
翼はスケッチブックを抱え直しながら、少しだけ照れたように笑った。
「ドリブルの音、すごくきれいだったよ。リズムが一定で、迷いがないっていうか……“あ、この人、ちゃんと練習してるんだな”って思った」
「そんなふうに見えてたんだ……」
「うん。あとね、パスを受け取るときの動きも好きだった。
ひぃくん、ボールが来る前から準備できてる感じがして……自然に身体が動いてるっていうのかな」
翼は言葉を探すように視線を落とし、それからまた僕を見た。
「私、スポーツのことは全然詳しくないけど……“上手い人の動き”って、見てるだけで分かるんだなって思った」

その言い方は、ただの褒め言葉じゃなくて、ちゃんと“見ていた”言葉だった。
「……そんなふうに言われると、なんか照れるな」
「ふふ。でも、ひぃくんのバスケ、なんか好きだったよ。
静かなのに、ちゃんと熱がある感じで」
胸の奥がじんわりと熱くなる。翼は続けた。
「だから、バスケって聞いて……すごくしっくりきた。でも、無理に決めなくていいと思うよ。ひぃくんが“やりたい”って思えるまでで」
その言葉は軽くて、でもどこかあたたかかった。
僕はプリントを見下ろしながら、まだ答えを出せない自分を自覚する。
「……うん。ちょっと考えてみるよ」
翼はゆっくりと頷いた。
「それでいいと思う。ひぃくんのペースでね」
翼が席へ戻っていくのを見送りながら、胸の奥に、言葉にできないざわつきが残った。
バスケは好きだ。それは間違いない。
中学の頃、体育館の空気が好きだった。
ボールの弾む音、シューズが床を擦る音、汗の匂いと、夕方の光。
あの場所にいると、余計なことを考えずに済んだ。
だから、高校でも続けるんだろうとどこかで思っていた。
……でも。
翼の言葉が、頭の中で何度も繰り替えされる。
「ひぃくんのバスケ、なんか好きだったよ」
「静かなのに、ちゃんと熱がある感じで」
そんなふうに言われたのは初めてだった。
中学ではほとんど話したこともないのに、翼は僕のことを見てくれていた。
それが、妙に嬉しかった。
そして――翼が抱えていたスケッチブックの端。
指先でそっとなぞる仕草。
美術室の話をするときの、あの柔らかい表情。
気づけば、
美術部のことが頭の片隅に残っていた。
バスケが好きなのは本当だ。でも、翼の近くにいたいと思う気持ちも、嘘じゃない。
どっちが正しいとかじゃなくて、ただ、心が揺れている。
「……どうしようかな」
プリントを見下ろしながら、小さくつぶやいた。
答えはまだ出ない。
でも、出ないままでいいのかもしれない。今はただ、自分の気持ちの形を確かめているところだ。

…そして月曜日。
結局、見学にも行かないまま、部活決めの最終日を迎えてしまった。
プリントの空欄は、まだ真っ白だ。書こうと思えば書けるのに、
どうしても手が止まってしまう。
バスケは好きだ。それはずっと変わらない。
中学の体育館で過ごした時間は、今でも胸の奥にしっかり残っている。走る感覚、ボールの重さ、仲間と声を掛け合うあの空気。
続けるなら、きっとバスケなんだろう。
そう思っていた。
……でも。
この数日、ふとした瞬間に翼のこと、美術室のことを考えている自分がいた。


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